脳内直結「声優脳」


by lunettes
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新年声優所感。

といっても平野綾のことだなぁ。好きなのか。いやー。実家でぼんやりと考えたこと以下。

▼平野綾の歌。平野のキャラクターソングがどうにも好きになれないアイアムですが。けれどもキャラソンと思わなければ結構いい歌ぞろいよね。いい歌というか。つまりは。▼実際はそこまでそれほどでもないが平野のキャラソンってどれも一緒に聴こえるってのがあって。吉田真弓とかと比べると劃然たるものですわ。その辺、おいおいぁーゃ、ちったぁ工夫しんさいよと思ってしまうのだが。▼ただ、キャラクターソングでもない、平野綾個人名義の曲でもない、その間のよくわからんが平野綾だけの理屈に基づいた”平野綾が歌うキャラクターソング”というものとしてとらえると、ガラリとその風景が変わって色彩豊かなものとして立ち現れてくる。んじゃないか。▼じゃあその”平野綾が歌うキャラクターソング”というもののどこが魅力的かというと。▼個人名義の平野綾の場合、いや、十二分に歌い方は声優的なのだが、しかしどこか言葉の扱い方が一般的なそれと比べて雑な印象を受ける。で、キャラクターソングの場合はどうかと言えば。おいお前それこないだもソレで歌ったろという話で。▼ただなぁ、『らき☆すた』はちょっと悩むのだが、けどやっぱり、それこなたの出す範囲の声ちやうでしょというのがやっぱりあって。いや歌うときの声がかなり違う人っているよねという解釈をほどこしているのだろうが。▼あー、歌とは離れた話と言うか歌にも言えるという話なのかもしれないが。平野綾に感じるいわゆる”下手さ”というのは畢竟その癖の均質性にあるんじゃないのかなぁと思ったりもするわ。これ結構大事なんじゃないか? そうか?▼つまりは、ある種の声優の、キャラソン/キャラソン間、キャラソン/個人名義間の歌い分けというのは、歌い方の癖を強く出す、あるいは強く消すことによって出されているんじゃないのか?▼で、平野綾の場合は基本部分となる癖はすべて一緒で、彼女が分けているとすればその部分ではなく情感が乗ると思われる部分(いまいちつかめていないが。我がな。)、そこを変化させているから聴こえてくる上においては一緒になってしまうということなんじゃないだろうか。▼で、まあそれは別に”平野綾が歌うキャラクターソング”がすばらしいという説明ではなかったわけだが。▼端的に言ってしまえば平野綾でもない、キャラクターでもない、そういう境界性というものがまとう聖性/性性/あるいは転じて賤性が魅力となっているのだろう。▼ぼんやりとした印象論でしかないわ。▼とまれこうまれ先に述べた基本部分を均質化して、かつそこによく正体のわからない情感なるものを乗せることによって醸し出されている表面的な表れとしての未成熟な喉力が耳に心地よいものとして迫ってくるのではないだろうか。日本語はわかりやすく書こう。▼最終的にはそういう境界的なものが好き過ぎる我の性癖に落ち着くのかもナー。落とすなよ。

なんとなく浮かんだ妄言。
・境界的なものをまとい過ぎていることによって中心的となる逆説を孕んだ声優存在というもの。
今年もよろしくお願いいたします。

そのうち07オブザイヤーか何かしらでも書くかなぁ。今年の抱負と。
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by lunettes | 2008-01-05 20:52 | 声優